***百合注意
                
































 「関係を身内に告白する」という行為はどうしてこうも緊張するのだろう。
 今日はユーザが疲れていそうだからやめとこうとか、今日はカエデがお気に入りのドラマの放送日だから遠慮しておこうとか、普段はしないような気遣いをどうしてもしてしまう。
 そうしてようやく決心して、この日なら大丈夫だろうと、私は意を決して晩ごはんを食べた後の和やかムードの中告白をしたのである。

 最初に訪れたのは静寂だった。
 部屋はしんと静まりかえり、聞こえるのは時計の秒針の音と外を走るわずかな自動車の音のみだった。
 そんなに静かなものだから、普段意識していない自分の心臓の音がよく耳に響いた。
 目の前のユーザとカエデは、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をして、先ほど「告白」をした私を見ている。

 当然だ、妹と付き合うのだから。
 そんな顔もするだろう。

 だからその時瞬間的に私が予想した彼女たちの言葉は、否定的なものばかりだった。
 きっと彼女たちならそんなこと言わないだろうと、心の中では思っていても、やはり「悪い想像」というものはしてしまう。
 どんなに侮蔑の目を向けられても、私は私を保っていようと、丁度心に決めた時、ネコ耳の女性が口を開いた。

「おめでとうございます、赤樺さま! 今日はお赤飯ですね!」

 にっこりと。
 本当に晴れ晴れとした笑顔で、カエデは両掌をポンと合わせた。
 隣のユーザが「カエデ、もうご飯は食べたよ」と苦笑交じりにツッコミをしている。
 それを見ている私は、ただ呆然と、二人の反応に目を丸くさせるばかりだった。

「ようやく赤樺さまもそこまでいらっしゃいましたか。おめでとうございます。子どもは何人産むんですか?」
「……いや……」
「あ、一応神様だから『何柱』と呼んだ方がいいんでしょうか? というかどちらが産むんですか? もういっそ二人でですか? 仲良くハッピーマタニティですか?」
「おい、カエデ……」
「というか神様ってどういう風に子ども産むんですか? 人間的な夜の営みで産むんですか? それともやっぱり柱の周り回るんですか? 声かけて合体してフィーバーなんですか?」
「おい! 聞け! 神の話を! というかどうしてさっきから子どもの話ばかりなんだ!? なんだお前は!? 痴女か!? セクハラか!?」

 怒涛のカエデの質問をツッコミで返す私に、ユーザがどうどうと宥める。私は馬か。

「すみません、テンション上がりすぎて変なことばかり訊いてしまいました」
「……ああ、いや。分かってくれればいい」
「それで結局子どもは何柱産むんですか?」
「お前!!」
「いやん嘘です冗談です、怒らないでください鉛筆は猫を刺すためにあるものではありませんよ」

 今度はユーザに本格的に止められたので、私はとっさに手にしたメモ書き用の鉛筆を元の位置に戻した。
 目の前のネコ耳は和やかに「にゃー」とか言っている。舌でも噛めばいいのに。

「とにかくおめでとうございますね、赤樺さま。ユーザさんも、そう思いますよね?」

 カエデがユーザに同意を求めたのに、私はドキリとした。

 カエデは私の従者であるし、どんな性格をしているかは大体の予想はつく。今回のことも、こんな風に祝福してくれるだろうとはあらかじめ想像出来ていた。
 しかしユーザは違う。
 彼女は普通の「人間」であり、私の従者ではない。当然カエデに比べたら、一緒にいる時間も少なすぎるし、性格だって特定していない。
 だから、今回のことをユーザがどう思ってくれるのかは、まったく予想がついていなかった。
 いや、むしろ、私は悪い方向にばかり考えている。
 常軌を逸している言動や思想は、意味不明ありで、恐怖だ。自分と同じ考えではないから、気持ち悪くさえ感じることもあるだろう。
 そうだ、私はユーザが「気持ち悪い」と感じていたらどうしようかと、不安に思っていたのだ。  だが――

 始めにやってきたのは頭の上だった。
 彼女はいつものように、私のことを子ども扱いするがごとく、優しく頭を撫で始めた。
 そのあと、いつものような人懐こい笑顔で、「おめでとう」の声が降ってくる。
 あまりにも予想外すぎるそのいつもの行動は、私を数十秒間硬直させるには充分だった。

「えへ、よかったですね、赤樺さま。ユーザさんも祝福してくださって……。……赤樺さま?」

 ネコ耳が目の前で手をひらひらさせている。しかしそれを「手」だと認識するのに私は少々時間が掛かった。
 そのあとネコ耳が頬を引っ張ってきたところで我に返った。

「おい、痛い、やめろ。どうして頬を引っ張る必要があるんだ」
「痛いです痛いですいたい! せ、赤樺さまだって、私の耳引っ張っているじゃありませんかぁ!?」
「お前が頬を引っ張ったのが悪い」
「赤樺さま無駄にロリなのでほっぺた伸ばしやすいんですよ」
「意味が分からん。あとロリってなんだ」
「『子ども』ってことですよ。言わせないでください恥ずかしい」

 イラッとしてデコピンを喰らわせると、わざとらしく「ぐはっ」と言って尻もちをついた。涙目で「ひどいです傷物にされました」とか言うのでほっぺ引っ張ってやった。
 その間ユーザは終始苦笑している。いつもの光景だ。ただいつもはこんなにカエデはウザくない。

「さて、無事ユーザさんからもお祝いの言葉を頂きましたし、ここはパーッと『お祝いパーティ』でもしませんか?」

 いつの間にか復活したカエデは、頬をさすりながら笑顔でよく分からないことを言った。

「……なんだ、『お祝いパーティ』って」
「赤樺さまと碧葉さまのお祝いパーティですよ。せっかくおめでたいことなんですから、みなさんでお祝いしましょう。ね?」
「いや、別にそこまでしてもらわなくても……」

 隣でユーザが「いいね、やろうやろう」と意外にも乗り気な様子を見せた。どう見ても金の負担がかかるのはユーザであるし、そこまで迷惑はかけたくないのだが……。

「大丈夫ですよ赤樺さま。その辺りのやりくりは私にお任せください」

 こう見えて予算は結構あるんですからね、とカエデは無い胸を張る。
 それでもやはりいたたまれなくて、ちらりとユーザを見ると、にこりと微笑み返されてしまった。有無を言わせない優しい返答だった。
 そのやり取りを知ってか知らずか、カエデは両手をポンと合わせる。

「そうだ。どうせなら黄樹さまもご招待しましょう。碧葉さまも呼んで、姉妹仲良くパーティしましょう」

 そう計画を立てていくカエデは、本当に嬉しそうだった。どう見ても「姉妹仲良く」出来る私たちではないが、それでも本当にそうなるのでは、とさえ思えるような笑顔だった。
 それに、黄樹を誘うのは悪くないと思った。あれから黄樹には会っていないし、いろいろと話したいこともある。話してみたいこともある。
 何より今の私は彼女のおかげでこうしていられるのだ。礼の一つぐらいは言いたい。……言い方はわからないが、なんとかなるだろう。

「黄樹さまには私からお願いしてみますので、赤樺さまは碧葉さまにお誘いをかけてみてくださいませんか?」
「ああ、別に構わんが」
「えへへ、では、来週末の土曜日にでも。時間は……、えーと、お昼にしますか? それとも夜?」

 時間か……。土曜日ならユーザも休日だし、昼からもゆっくりできるだろう。しかし、ユーザが酒を飲みたいのなら、夜から始める方がいいか……。

「もし夜に碧葉さまとしっぽりなさりたいのなら、私は昼からでもいいんですけど」
「夜にしよう」
「遠慮なさらなくてもいいんですよ? お布団のシーツはちゃんと洗っておくので安心してください」
「お前さっきから言動がオヤジだぞ」
「子どもが産まれたら『カエデ』と名付けてくれてもいいんですよ?」
「絶対ないから安心しろ。二重の意味で」

 またユーザが苦笑いをしている。ちょっとはこの変なテンションの猫を止めてくれてもいいと思うが、ユーザには荷が重すぎるから良しとする。

 それからいくつかお祝いパーティについての段取りが決められた。
 段取りと言ってもそんな大したものではなく、場所はどこだの、料理担当は誰だの、ということを決めるだけなのだが。

 料理はいつも通りカエデが担当し、ユーザも作ってくれるとのことだった。カエデが「すっぽん料理とかいりますか?」とか訊くのでほっぺ引っ張った。
 場所は予算の関係もあってユーザの家、つまり今いるこの場所でやるとのことだ。私も外に出るのは面倒なのでそれがいい。
 そうして料理の品についての話し合い中、ふと思った。そういえば、カエデももちろん参加するんだよな?

「はい? そうですね、一応は。……私がいると何かお邪魔でしょうか?」
「いや、別にそういう訳ではないのだが。……碧葉も一緒だろう、もちろん」
「それは、赤樺さまと碧葉さまのお祝いですから……、……あ」

 カエデは何か気付いたようだった。隣にいるユーザも困ったような顔をしている。
 まぁカエデと碧葉のやりとりを見ていたユーザなら、さもありなんというものだろう。

「赤樺さま……」

 今度はカエデまで困ったような顔をしてしまった。そんな顔をするな。大丈夫、努力はしてみる。
 せっかくカエデが計画し、ユーザもそれに乗ってくれたのだ。このパーティぐらいは成功させたい。
 そう言うと、二人はまた私に微笑んでくれた。その笑顔がなんだか恥ずかしくて、頬の熱さを感じつつそっぽを向く。

 碧葉はこんな私を見てどう思うかな。
 嫌われないことを願って、私は話し合いに戻った。


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「無理! 絶対無理! いくらお姉様の頼みだからって、あの毛玉と同じ空間にいるなんて絶対無理ッ!!」

 ダメだった。
 目の前の碧いのは拳を強く握りしめながら地団駄を踏む。やめてくれ。下の階から苦情が出る。

「大体、あの生ものが『お祝いパーティ』とか計画する時点で怪しいわ! きっとケーキとかに毒とか盛る気よ! あるいは皆殺し!」
「落ち着け。カエデがそんなことするわけないだろう。あとなんだ皆殺しって。話飛び過ぎだ」
「騙されていますわお姉様。あの毛玉、きっと私にお姉様を取られて悔しいのよ。化け猫の醜い嫉妬よ。まぁそこはざまあ見ろって感じで面白いんだけど」
「『子どもはどっちが産むんですか』とか訊いてる時点で嫉妬なんかしてるわけないだろう」
「『子作りなら私のほうが上手いんですけどね』とか裏では思ってるかもしれないじゃない!」
「どんな自慢だそれは」

 堪らず嘆息するも、碧葉は見えていないのかまだキィキィと何か訴えている。
 正直こんな碧葉を説得させるのは面倒だし眠いのだが、努力してみると言った手前、放置するのも気が引けた。
 それにこのパーティでは、碧葉が欠けることも、カエデが欠けることも、得策ではないだろう。ふたりが参加してくれることで盛り上がるというものだ。

 だがしかしこんな碧葉を説得出来るほど、私は器用ではなかった。

「ともかく! 私は絶対に参加しませんわ。あの毛玉が一緒にいる以上参加するなんて無理!」

 本日何度目かの「無理」を言って、碧葉は不機嫌っぽく腕を組んだ。よっぽどカエデと一緒にいるのは嫌らしい。
 今は買い物に行き、タイムセール品を狙っているであろう我が使い魔を想って、少し涙が出た。

「碧葉……。あまりわがままを言うな。ユーザだって楽しみにしてくれているんだ。今更『中止にする』なんて言えないだろう」
「あの毛玉を抜きにしてパーティすればいいじゃない」
「料理担当のカエデが抜けたら、料理がなくなるだろう」
「そんなの、出前でも頼めばいいじゃない」
「そんな金あると思うか?」
「だったら私が出しますわ、お姉様」
「お前の金とか汚そうで嫌だ」
「ひ、ひど。そんなに汚くないし」

 いやお前自身邪気放ちまくりなんだから、金が汚いことはないだろう、とか言おうと思ったがあんまり言うと涙目になりそうだからやめた。

「第一、大した理由もなしに他人に奢ってもらうのは、あまり好かん」
「べ、別に他人じゃないし。だって私、お姉様の、……こ、こ。……こい」
「……『鯉のぼり』?」
「なんで魚になんなきゃいけないの!? 『恋人』でしょう!?」
「あ」
「え」

 変な声出したせいで部屋の中がしんと静まり返る。
 いや今の変な声は、そういうのを面と向かって、さらになんの予告もなしに言われたせいで出てしまった「声」であって、別にそんな深い意味とかは何もないのだが。
 ないのだがなんだか恥ずかしいせいで、次の言葉がなかなか頭に浮かんでこなかった。

「……え? ……あれ? 私、お姉様の恋人……、じゃ、なかったっけ……?」

 当の碧葉は、私が急に黙るものだから、それをいらない方向に不安がって困ったような涙目なような顔で小さく訊いてきた。
 このまま何も言わなければそのまま関係がなかったことになってしまう気がして、私はとっさに首を振る。

「い、いや、お前は私の恋人……だ、ろう」
「……そ、そっか。そうよね。あはは、よかった……」
「……」
「……」

 どうしよう。
 すごく恥ずかしい。

 そもそも自分から「恋人」言うのも恥ずかしいし、碧葉の方から「恋人」言われるのもたまらなく恥ずかしかった。
 それは碧葉も同じなようで、顔を真っ赤にしたまま下を向いてそのまま何も言わなくなってしまった。
 多分私も顔が熱いから、同じような様子で黙っているのだろう。

 このままではいけない。
 このままではカエデがタイムセールスから帰ってきて、そのカエデから逃げようとすぐさま碧葉は窓から飛び降りて帰ってしまう。
 それだけはなんとか避けたい。今ここで、『碧葉もパーティに出る』ということを決定させないとパーティがずるずる延期になってしまう。
 だから私はこの変な空気を払拭させるために重い口を開いた。ゆっくりと。

「……だから、パーティに出ろ碧葉」
「やだ」

 一蹴された。
 今ちょっとなんかいい空気になってたと思ったのにその期待虚しく一蹴された。

「碧葉……お前な……」
「だって、あの毛玉とおんなじ空気吸うなんていやなんだもん」

 ぷくーっとリスのように頬をふくらます碧葉は間違いなく小学生だった。
 別にちょっとかわいいとか思ってない。私はそんなにバカじゃない。バカじゃない。大事なことだから2回言った。

 歳に似合わず頬をふくらます神に嘆息し、どうしたものかと宙を仰いだ。
 私がこんなに頼んでもダメということは、碧葉のカエデ嫌いは相当なものらしい。
 「嫌い」というか、「恐怖」のほうが近いような気もするが。

 そこまで考えて、思考が一旦止まった。
 「嫌い」ではなく「恐怖」なら、まだ策はあるかもしれない。
 脳内会議の結論が出たところで、私は再び碧葉のほうを振り向いた。

「碧葉」
「だ、だからいくら言ってもヤだってば」
「カエデが何かしたら、私が守るから安心しろ」
「…………え?」

 「え?」じゃない。聞けよ。今言っていてすごく恥ずかしかったんだぞこの青色。
 自分の顔が熱くなるのを感じ、頭を掻いてからさっきの言葉を口にする。

「カエデが変な挙動を起こしたら、真っ先にお前を守ってやるから安心しろと言っているんだ」

 言った。
 言ったぞ私は。
 今まで生きてきた中で恥ずかしい台詞ベスト5には入るであろう言葉を、一字一句はっきりと碧葉に言ってやった。
 ちらりと碧葉を見ると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
 していると思ったらみるみる顔が紅潮していった。

「え? え? え? 本気で言ってるのお姉様? ホントにあの毛玉から守ってくれるの?」
「だからそうしてやると言っているだろう。そもそもカエデは私の使い魔だぞ。主人の私が使い魔を制御できなくてどうする」

 使い魔と言っても今はカエデの方が力が強いので、立場は逆転していると言っても過言ではないのだがまぁ黙っていればバレないだろう。

「う、それは……、そう、だけど、……でも……」
「……なんだ、まだ何かあるのか」
「あ、いや、そういうわけでもないんだけど……、ええと……」

 まるで乙女のように指先をもじもじさせている。なんだこいつは。少女漫画か。
 ちょっとかわいいとか思ってしまったからもう緑茶とか飲んで脳を活性化させたい。

「……うん。お姉様がそう言ってくれるのなら……、……行こう、かな。パーティ……」
「……本当か?」
「うん。……あ、でも」
「な、なんだ」

 碧葉は何かを思い描くように宙を仰いで、人差し指を顎に当て「そういえば」と続けた。

「時間って、来週末の土曜日でしょう?」
「ああ」
「うーん……、その日って、2時から信者にありがたーいお説教する予定があるのよね。まぁ5時とかその辺には終わると思うけど」

 3時間も延々お説教ってそれどんな拷問だ。碧葉教こわい。
 それは置いといて、時間的に厳しい様だったら無理は言わないのだが。

「んー、別に大丈夫だよ。教団からここまでそんなに遠くないし。疲れないようにそれなりに手抜くし」

 それでいいのか碧葉教。

「……お前、仮にも信仰されている身なんだから、信者を踏みにじることはしないでやれよ」
「だ、大丈夫だってば。信者にはわからないように手抜くから」
「そういう問題じゃない」

 え、じゃあどういう問題? と碧葉は頭にはてなを浮かべて首を傾けた。いつか教団が瓦解してバッドな方向に向かうのではないかと心配になる。
 まぁその時はカエデやユーザの手も借りて、私たちがなんとかしようと思うが……。

「……とにかく、教団からこっちに向かうんだな?」
「うん。パーティって6時からでしょう? たぶん1時間もあれば充分間に合うと思うし」

 教団がどの辺にあるのかわからないし、禍々しそうで聞きたくもないが、碧葉がそういうのならそうなのだろう。
 ……しかし、少しばかり心配ではある。いくら手を抜くとはいえ、3時間も説教をするのだ。体力的につらいのではないだろうか。
 少しばかり考えて結論を出し、碧葉の方へ向き直る。

「迎えに行ってやろうか」
「……え? 迎え?」
「迎え。お前の教団から……、いや、なんか邪気まみれで怖いから、少し距離離れたところで待ってるから」
「じゃ、邪気まみれってひどいですわ……。でも、ええと、ホントにいいの?」
「別にいい。私もお前と一緒にいたいし」
「そう……。え?」
「え?」

 お互い顔を見合わせて、お互い顔が赤くなって目を逸らした。赤い。何言った私今素で。
 あら赤樺さまって積極的ですねウフフとかカエデの幻聴が聞こえた。ええい、失せろ猫。最近嫌にテンション高めでおって。

「失せろだなんてひどいですね赤樺さま。これも主人への愛ゆえになんですよ?」

 傍で聞き慣れた声がした。
 横を見ると、私と碧葉の間にカエデがちょこんと正座をしている。

 碧葉が絶叫と共に飛び上がった。

「わあどうなさいました碧葉さま。耳にキーンって来ちゃいますよ」
「けけけけけけいいいいいいいどどどどどどどど(訳:毛玉一体どうしてここに)」
「落ち着け碧葉、どれもまともに言えてないぞ!」

 顔を真っ青にして、驚きと畏怖の目でカエデを見、碧葉はテーブルの下に隠れた。この間およそ3秒である。
 彼女は子犬のように背中を丸め、ひとりガタガタと揺れている。

「どうしましょう赤樺さま、私今すごく怯えられています……」
「まぁある程度予想はしていたが、何より登場が急すぎるだろう……。お前一体いつ帰ってきた」
「んー、ついさっきですよ? タイムセールでいいのが買えたんですよ〜、ほら」

 そう言ってカエデは満面の笑みで、今日の戦利品が入っているエコバッグを抱え上げた。
 袋の中はパンパンのようで、今日の戦況の良さが伝わってくる。

「うふふ、今日はお肉ですよ。お肉! なんと牛肉です」
「む、牛肉か。それは珍しいな。ユーザも喜ぶぞ」
「はいー。今晩はドーンとステーキにしますねー」
「おお、ステーキか。ホントに珍しいな」
「普通に晩ごはんの会話していないで、なんとかしてよお姉様!」

 肉の話に花を咲かせていると、床から碧葉が今にも泣きそうな声でツッコんできた。怖くてもツッコミを忘れない。いいツッコミ役になるぞ、碧葉。

「そんな役いらないから! もう私帰る! 帰るー!!」
「か、帰るってお前、パーティの時はカエデもいるんだぞ。そんな調子で大丈夫なのか?」
「だってお姉様牛の話ばっかりするんだもん!」
「様をつけろこのバカ青! お牛様が食卓に並ぶなんてそうそうないんだぞ!」
「牛に様付を強要する神なんて聞いたことがありませんわお姉様!」

 しかしお牛様が家に来るのは本当に久しぶりなんだ、と言いかけたときに碧葉の目元がチラリと光るのが見えた。
 テーブルの下から上目遣いの涙目で訴えてくる碧葉に、ようやく牛からの解放を得て私はゴホンと咳き込んだ。

「あー……。まぁ、大丈夫だ碧葉。カエデは特に怖くはない。なんならほっぺ引っ張っても良いぞ」
「いやよくはないですよ赤樺さま。私でも痛みは感じるんですよ?」
「そうよお姉様! こんな毛玉、痛みを与えたらそのまま3倍返し喰らうわよ!」

 そんなバレンタインのお返しみたいなこと今までされたことはないのだが……。いや、テンションおかしくて腹立たしいことはあるけれど。

「碧葉、もうすぐパーティなんだ。とりあえずテーブルの下から出てこい。な?」
「う〜〜〜〜…………」
「カエデが噛みつこうとして来たら、守ってやるから。丸めた新聞紙とかで」
「私は犬か虫ですか赤樺さま……」

 使い魔がなんか言っているが、とりあえずスルーする。
 気持ち微笑んでうずくまっている碧葉に手を伸ばすと、彼女は私の手と顔を交互に見て、それからそっと私の手を掴んだ。
 面倒な彼女だ。別に嫌いではないがな、こういうの。

 しかしテーブルの下から出てきたと思ったら、碧葉は素早く私の後ろに隠れてしまった。お前は人見知りの子どもか。

「碧葉……そんなに怖がらなくてもいいだろう」
「こここ、怖がってなんかいませんわ。ただ、なんていうかこう、この毛玉から邪気的なものを感じるから避難しただけで」
「邪気的なものを出してるのはお前だろう……」
「だっ、だからそんなことないってば!」
「碧葉さま、何かお飲みになられますか?」
「ヒィ!? 喋った!?」
「いやさっきから喋っているだろう」

 本当に大丈夫なのかこの青色……。今更ながらパーティの日が不安になってきたぞ。
 カエデの気遣い虚しく、碧葉はさらに恐怖と嫌悪をあらわにし、私の服の袖をギュゥと掴んでくる。ちょっとかわいい。
 いや、何を言っているんだ私は。いや別に言ってないけど。ああ。早く肉食べたい。

「お……、お姉様、私もう帰るから……」碧葉がおそるおそるという風に私に耳打ちしてきた。
「なんだ。別に怖がらなくてもいいと言っただろう」
「そ、そういうんじゃなくて、ホントに帰らないと、今日信者たちに会う予定があるの……」

 そう言ってちらりと時計を見る。どうやらこの後に予定が入っているらしい。カエデから逃げたいために吐いた嘘かもしれないが。
 まぁ疑うのもアレだし、予定が入っているのなら無理に止める必要はない。せめて外まで送ってやろう。

「べ、別に大丈夫。窓から帰るし」
「いやそこは玄関から帰ってくれよ」
「えーめんどくさい……。なんか人間みたいだし」
「……お前、カエデから早く逃げたいがために、窓から帰るんじゃないだろうな?」
「そしっ、そそそそんなことあるわけありませんわ。別に毛玉とかそんなに怖くないし。あはははは……」

 とか言いながら私の腕を強く握りしめるな。さすがに痛いわ。
 碧葉はどうしても窓から帰りたいようで、懇願するように私の顔を見つめてくる。そんな顔をするな。無意味にドキドキするだろう。

「……ガラスとか割るなよ」
「だっ、大丈夫。私透けるし。ていうかさすがに窓開けて帰るよ」
「他の人間に下着とか見せるなよ」
「そっ、そんな馬鹿なことしない!」

 下着見せるのはバカなのか……? という疑問は胸にしまい、碧葉は勢いよくベランダの窓を開けた。
 器用に手すりの上に立つと、上半身をひねらせて私たちの方を見る。

「……じゃ、じゃあ、帰るから」
「ああ。……そうだ碧葉。迎えに行く時間はいつぐらいがいい?」
「え? ホントに来てくれるの?」
「そうだと言っているだろう」

 碧葉はまだ信じていなかったらしく、きょとんとした目で私を見てくる。

「そ、そっか。……ええと、時間とかは一応向こうで確認するから、またあとでお知らせしますわ」
「そうか、わかった。……気を付けて帰れよ」
「う、うん」
「またいらしてくださいね、碧葉さま」
「ぅヒッ!? ああ、うん……」

 カエデの微笑みに、碧葉は硬直した。どうやらまだまだ慣れるには時間がかかりそうだ。
 カエデはあまり気にしていないらしく、手をひらひらと小さく振った。見た目も相まってかなり上品な女性に見える。中身はアレだが。
 そんなカエデに、碧葉は恐怖と困惑が入り混じったような表情を浮かべ、ひらりとベランダから消えていった。

 開け放たれたままの窓を閉めながら、私はカエデに向かって言う。

「パーティの日が思いやられるな」
「うふふ、そうですね。でも、」

 カエデは変なところで言葉を切った。
 疑問に思ってカエデを見ると、彼女はそれを見計らったようににっこりと笑った。

「私は、とっても楽しみにしていますよ、パーティ」


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「――という訳で、お祝いパーティを開こうと思うので、ぜひ黄樹さまにもご参加いただきたいのですが……」
「ええ、そういうことならぜひ参加させてもらうわ」
「ありがとうございます! きっと赤樺さまもユーザさんも喜ばれます。碧葉さまは、会話できる状態にないのでよくわかりませんけれど……」
「……本当に出来るの? パーティ」
「だ、だいじょうぶです。赤樺さまががんばってくれます。こう、愛のパワー☆ で」
「その『☆』は一体……。
 ……とにかく、わざわざ呼んでもらったのだから、何かお土産を持っていかないといけないわね……」
「え? いいんですよそんな。来ていただけるだけで充分です」
「そういう訳にもいかないわよ。人間の友達も、『人の家に行くときには贈物を』と言っていたし……」
「なんて礼儀正しいお友達と神様……。これで神業界は安定ですね」
「安定のレベルが低すぎると思うの……。……それで、何か欲しい物はあるかしら、カエデさん?」
「ええ? 私ですか? ユーザさんやついでに赤樺さまならまだしも、私の欲しい物なんてそんな、大丈夫ですよ」
「前から思っていたのだけれど、カエデさんの赤樺お姉様への扱いってぞんざいよね……。
 ……でも、私が本当にお土産を贈りたいのはカエデさんだもの。赤樺お姉様のことでいろいろと気を配っていたのは、カエデさんだし……。せめてもの贈物をしたいの」
「黄樹さま……。うう、これで神業界はこの先1000年安泰ですね」
「だから基準低すぎ……」
「大丈夫です黄樹さま! 今のお言葉だけで、私は充分幸せです。お土産はどうかユーザさんやついでに赤樺さまにお贈りください」
「でも、カエデさん……」
「あ! いけない! タイムセールの時間です! 黄樹さま、今日はもうこの辺りでおいとまさせていただきますね! それではっ!」
「あっ、カエ……。
 ……もう、カエデさん……」