***百合注意
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私たちは今日この土曜日の昼、花見に行くことにした。
がしかし、結論から言うと花見は夜からになった。
理由は、しぶしぶと行った花見の場所がすでに芋洗い状態であり、座るところがなかったというだけだ。
それでも碧葉は人避けの術を使って場所を確保しようとしていたが、さすがにそれは反則すぎるのでなんとか説得して止めた。
この姿では重く感じる花見用の敷物を抱え、雲ひとつない空の下、家路につく。
「そういえば、あの毛玉はどうしたの?」
何が入っているのか、三段にもなる重箱を持って隣を歩く碧葉が訊く。
「カエデなら温泉だぞ」
「えっ」
「え」
しまった。今まで秘密にしていたのに。こんなにあっさり明かしてしまうとは。
碧葉を見ると、信じられないという顔で私を見つめている。見るな。別に私は悪くはない。
「……ユーザは?」
「……ユーザも温泉だ」
「……お姉様だけ置いてけぼり?」
「お、置いてけぼり言うな。せめて留守番と言え」
わなわなと碧いのが震える。気のせいか、風も強くなってきたと思う。
「あ、あの毛玉と人間……! お姉様を置いて自分たちは温泉に行くなんて、そんな……ッ!!」
「ま、待て落ち着け碧葉。仕方ないことなんだ」
「何が仕方ないの!?」
睨みつけられたその目は、たしかに蛇のように光ったのを今でも覚えている。
いかん。こんな昼間からこんな所でこんな邪気を放たれたら、さすがの私でも補導とかされてしまう。
「わ、私たちの家の経済状況では、とてもじゃないが三人で温泉なんて行けないんだ」
「だったら、なんでユーザとあの毛玉なの!? お姉様を優先させるべきでしょうここはっ!」
言えない。審議の結果あの家で何もしていないのはこの私だからだなんてとても言えない。
というか信じてもらえなさそうだ、今のこいつの状態だと。
「い、いいか碧葉。よく考えてみてくれ。温泉に行けるのは二人だけだ」
「ええ」
「なら、私が温泉に行くとなると、必然的に誰か一人、一緒に行かなければならなくなる」
「……」
「私とユーザが一緒に行くのか、私とカエデが一緒に行くのか、それはわからんが、結局私は誰かと二人っきりで温泉に行くことになるのは事実だ」
「私と行けばいいじゃない」
「いやそれは死んでも嫌だ」
「ひっ、ひどっ!」
こいつと温泉なんか行ったらどうなるかわかったものではない。それこそ貞操の危機だ。
それは置いておくとして、この温泉旅行はどちらかと言えばユーザのためのものだ。彼女に仕事の疲れを癒してほしいから、ユーザを温泉に誘った。
なので、あくまで主役はユーザだ。カエデ? あいつは草加せんべい買ってきそうなのでどうでもいい。
「だから、私は留守番でいい。家主のユーザに倒れてもらっては、いろいろと困るからな」
「……」
沈黙。
碧葉はなぜか、突然黙ってしまった。
心地のいい風が私たちの髪を揺らし、遠くのほうでは桜の花びらが乱舞している。
「お姉様って、本当に丸くなったみたい」
花びらに見惚れていると、碧葉がぽつりと言葉を発した。
「まだ言っているのか、お前は」
「言うよ」
風が一瞬強くなって、私は自分の髪が乱れないよう、手で押さえる。
目の前の碧葉は、その風のせいか蒼髪がやわらかに舞い、かすかにその隙間から口元が見えた。
「お花見、楽しいものにしましょうね、お姉様」
複雑な笑い方をする妹は、立ち止まっている私を追い越して、ゆっくりと家へ歩を進める。
……ああ、あんな笑い方もするのか、あいつ。
わずかな妹の成長を胸に、碧い後ろ姿を見つめ、その背中を追った。
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時は来た。
十九時。私たちはそれぞれに荷物を抱え、家の鍵をかけて出陣した。
夜の街灯はわずかに私たちを捉え、いきいきとした妹の顔を灯している。
その手には先ほど同様重箱と、見慣れない酒瓶を抱えている。
「なんだその酒は」物騒なものでないことを祈りつつ訊く。
「信徒から貰ったお酒ですわ」上機嫌なのか、満面の笑みで答えられた。
「……飲んで平気なのか? それ」
「心配いりませんわ、お姉様。もし万が一お姉様に害をなす捧げものだったら、その信徒を八つ裂きにして豚の餌にするだけですもの」
心配ありすぎる。
どうかこの花見が無事に終わるようにと唱えていると、いつの間にか目的地である公園に着いていた。
その場所は公園と言うより広場に近く、お情けである遊具と、平面の芝生に何十本と植えられている桜の樹が、ここは絶好の花見スポットですよと呼んでいる。
昼来たときよりは人の数が少ないが、それでもやはりみな桜に惹かれるのだろう、背広姿の男性たちや大学生ほどの男女が、各々酒を持ちより騒いでいる。
そうして自分の姿を顧みた。どう見ても子どもだ。このままではいい感じの親切な人間が「お嬢ちゃん、お母さんとはぐれちゃったの?」とか訊いてくるに違いない。
いや、その前に子どもがこんな所にいるのだ。下手をすれば警察とかに保護されるかもしれない。
保護者役となるカエデやユーザが遠い温泉地にいる今、それだけは避けたい。和解出来ていない黄樹を保護者役にすることも、ましてや邪気漂う碧葉にそれをさせることもできれば御免こうむりたい。
ということを碧葉に一応伝えると、彼女は自信たっぷりに胸を張って、
「大丈夫ですわお姉様。この私にすべてお任せください」
と言ってくださる。
いや、正直あまり任せたくはないのだが……。不安に思っていると、碧葉はきょろきょろと周りを見渡し、何かを探し始めた。
「――あ、あそこがいい。あの場所でお花見しましょう、お姉様」
そうやって指差す先にある桜の樹は、たしかにこの中でも一段と大きく立派な桜の樹で、花見をするなら十人中十人は「あの場所が良い」と提案するであろう桜だ。
だが、その樹の下に視線を移すと、どこかの会社の集まりだろう。頭にネクタイを巻くと言う典型的な酔っ払いを筆頭に、ワイシャツ姿の男性たちが楽しそうに歌を唄っている。
もう先客がいるのだ。良いも悪いもない。素直に別の場所を探そう――。
「退いて」
踵を返した私に、背中越しで碧葉がそう言うので、とうとう私に反逆をするのかとゆっくり振り返ると、碧葉は私のほうではなく楽しく歌を唄う男性たちのほうを見ていた。
すると大きな桜の樹の下にいる彼らは、何を思ったのか、憑りつかれたように唄うのを止め、突然自分たちの荷物を片付け始めた。
その片付けの速さは尋常でなく、五分としないうちに酒やら箱やら何やらをまとめ素早く撤収していく。
呆気にとられていると、碧葉はまたにっこりとほほ笑んで最高の花見場所を私に示す。
「さぁ、空きましたわお姉様」
この妹……!
「お、お、お、お前、何した」
腹の中に怒りと恐怖を混ぜながら問いただすと、碧葉は至極当然のようにさらりと答えた。
「邪魔だから、術で退いてもらったの」
「馬鹿かお前は!?」
「ひゃあ!? なんで怒るの!?」
「怒らいでか!」
なんでお前には『平和的に解決する』の文字がないんだ!?
大体、そんなことをしているから邪気が漂って禍々しくなるんだろう!
お前は少しでも、周りの気持ちを考えろ!
というか別に私は、そこまでして花見をしようなどとは毛頭思わん!
「……」
そこまで一気にまくし立てると、碧葉はみるみる目に涙をためていき、肩を小さく震わせた。
泣くな。そんなことで。言っとくが、私は引かんぞ。
「……」
「……」
腕組みして碧葉が何か言うのを待つ。
しかし、彼女は目元を拭うばかりで、特になんの言い訳も出してこない。
ただ、桜が風に揺れる音と、周りの騒がしい音が耳に届いてきた。
――これでは、完ぺきに私が悪者じゃないか。
目の前の小さな少女を見て思う。
いや、もしかしたら、実際そうなのかもしれない。
なぜならこの少女は、私のためだけに花見の準備をし、私のためだけに花見の場所を提供し、私のためだけに今こうしてここにいるのだ。
それを私は口に出さずも肯定し、少女とともに行動している。悪態をつきつつもどこかで楽しんでいる。
なのに彼女が少し反則技を出したばかりに、私は彼女の行動すべてを否定し、突き放した。
彼女はただ、私のためを想ってやってくれているのに。
「……悪かった」
何も考えていないのに、口が勝手にそう動いていた。
目の前にいる蒼髪の少女は、こうべを垂れて、地面に落ちている桜を見ている。
「……言い過ぎた。すまん。お前は、私のために場所を取ってくれたんだよな」
少女の目を見ようにも、今の私では彼女の蒼髪しか見えない。
「……ごめん」
首元から絞り出して、声を送っていく。
もう何を言っていいのか、まったくわからなかった。
ただ、今は、彼女の顔を見たい。それだけだった。
「……もう」
不意に、彼女が小さく言葉を発する。
「……もう、怒ってない?」
探るようにゆっくりと顔を上げた彼女は、子どものようにこちらの顔色をうかがっている。
なんだかその姿が可愛らしくて、私はついこの空気を忘れて微笑んでしまった。
「……え、な、何? どうして笑うの? お姉様」
慌てる様子がまた可愛らしくて、私は不思議がる碧葉の目から逃れるように口元を手で覆った。
「なんでもない」
「な、なんでもないことないでしょう? なんかニヤニヤしてるしっ。なんで?」
少女は困ったような表情をする。
「――ぷっ」
ダメだ。
つい噴き出してしまう。
「だ、だから、なんで笑うのお姉様ー」
「……っ。ああ、悪い」
「え……、あ。も、もう、謝らなくてもいいから」
返事に気付いて碧葉を見ると、頬を桜色に染めて子どもっぽく「えへへ」と笑った。
なんだかそれが、意味もなく嬉しくて、私も一緒に微笑んでいた。
かすかな公園の灯りに照らされる碧葉を見ながら、
私は、彼女がいてよかったと、心から思っていた。
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碧葉が術で退かせた花見席に敷物を広げる。
やっとこの荷物から解放されると腰を下ろすと、ふと放置していた疑問が浮かぶ。
「そういえば……、私の姿、補導されないか?」
忘れていた。
私の今の姿はどう見ても子どもであり、今の時間は夜だ。
保護者がいなければ、いやむしろいたとしても、他の人間たちに何かしら話しかけられるのは事実。
なのに、周りにいる人間たちは、ある程度酔っているにしても、私たちのことを気にしてなさ過ぎている。それにひどく違和感を感じた。
「ああ、それはこの公園に着いたときに、私がこっそりお姉様に術を掛けたから大丈夫」
また術か……。
「あっ、こ、これは誰にも迷惑とか、かからない術だから。そう怒らないで? お姉様」
「別に怒っているわけではないが……、どんな術だ?」
紙コップを私に渡した碧葉は、えっへんと子どものように胸を張った。
「ずばり、『そこに何かがいるけど、なんなのか分からなくなる術』よっ」
「ふーん。おお、すごいなこの弁当。伊勢エビがあるぞ」
「そこはもうちょっと食いついてよお姉様!」
「碧葉、そこにある割り箸取ってくれ」
「ああ、うん。……じゃなくて!」
重箱に入っていた伊勢エビの身を拝借していると、急に碧葉が荒ぶり出した。
「なんだ、花見は静かにするものだぞ」
「自分から訊いといてひどいわお姉様! ちゃんと私の話聞いて! そして褒めて!」
一番の理由は最後のだろうと思いつつも、碧葉の言葉に耳を傾けてやることにした。
それを見てか、碧葉はようやく落ち着きを取り戻し、得意げに解説を始める。
「こほん。いい? お姉様。『何かあるけど何か分からない』というものに、人間は恐怖心を抱くものなの」
月の光に当てられて、桜はやわらかい光を放っている。それがとてつもなくきれいで、この気持ちをどう表せばいいのか言葉に悩む。
「ということは、今ここにお姉様や私の姿が人間に見えていなくても、『何かがいる』ということは分かるから、不気味がってここに席を設けようなんて思わなくなるわけ」
手元にある赤い甲羅はその身をすべて私に捧げてしまい、空っぽになった。うまかったが、何か酒でも飲みたいな。何かなかったか。
「要するに、もう誰にも私たちの邪魔はさせないと……ていうか聞いてるお姉様!?」
碧葉が持ってきた酒瓶に手を伸ばし、その包みを解いているところでようやく彼女が私に声をかけた。
「ああ、聞いてる聞いてる。だからもう少しひとりで喋っといていいぞ」
「聞いてないし絶対聞いてないし! ひどいですわお姉様っ、私が有能なところを見せて褒めてもらおうと画策してたのに!」
どれだけ褒めてもらいたいんだお前。しかもさらりとネタバレしてるし。
だから靴下の長さ違うんだろう。
「だからこれはファッション!!」
碧葉が大きい声でツッコんでも、周りの人間は全く意に介そうとしない。どうやら本当に見えていないらしい。
もしかしたら酒に酔っている、ということもありえるが、まぁ、今は考えないことにしよう。
正面でピーピー言っている少女を無視して、酒を飲もうと、包みを外した日本酒の酒瓶に目を通す。
張られているラベルには、堂々と、潔い筆遣いで、『神ごろし』と書かれていた。
縁起悪すぎる。
「碧葉、お前……、なんだこの酒の銘柄」まだぶつぶつ言っている彼女にラベルを見せる。
「え? だから信徒に貰ったお酒だって」
「それは聞いたが、いやなんというか、なんだ。その信徒は、お前に恨みでもあるんじゃないか?」
「あら、心外ですわお姉様。私の信徒がそんな馬鹿なことを思う訳ないでしょう」
ふふん、と今宵何度目かの胸を張る。こいつのこの自信はどこから来るんだ。
「これは、『私以外の神は殺す勢いで、信仰して参ります』という意思表示ですわ、お姉様」
どの道縁起悪すぎる。
なんでそんな怨念がこもった酒をこの席に持ってきたんだお前は。
「普通のお酒じゃ、お姉様は満足しないと思って……」
「いやそこは普通の酒でいいだろ。私にとっては久しぶりの酒だと言うのに」
「え、久しぶりなの?」
碧葉が私の発言に目を丸くする。私にとっては普通のことだが、こいつにとっては異常らしい。
「ああ。ユーザの家はあくまでユーザの家だからな。酒などの嗜好品は、必然的にユーザ優先だ」
「は? お姉様を差し置いて、ユーザが酒飲んでるの? なんなの馬鹿なの死ぬのいやむしろ死ね。ちょっとあの女殺してくる」
「やめろ。触手しまえ。あと花見の席でそんな物騒なこと言うな。中止にするぞ」
「あ、い、今のはほんの冗談ですわ、お姉様」
「まったく……」
オチがついたところで、気を取り直して物騒な酒の蓋を開ける。
「あ、お姉様、私が注ぎますわ」
そう言って酒をぶんとった碧葉は、不器用だが丁寧に私のコップに酒を注ぎ始めた。
銘柄は物騒だが、酒はうまそうだ。久しぶりの酒というのもあるかもしれないが。
「さぁ、どうぞお姉様」
注ぎ終わったコップを見ると、酒がなみなみ注がれていた。ちょっと入れすぎだろう。まぁいいやもう。
くいと大きく仰ぐと、口の中に辛いのか甘いのかさっぱりなのかどんよりなのかあっつ喉があっつ燃えてる燃えてる。
「なんだこの酒は!?」
と言ったつもりなのだが、熱さで舌が回らなくなっていて全く何を言っているのかわからないと言う状態だった。
「おいしい?」
そんな私に碧いのは構わず素っ頓狂な感想を訊いてくる。
「お、待て、水! 水!」
必死で助けを求めるが口の中が動かなくて「おまみしゅみしゅ」とか訳の分からない呪文を唱えている。なにこれしにたい。
だがしかし碧葉はそんな素なのかボケているのかわからない私をなぜか読み取れて、持ってきた二リットルペットボトルの水を私に注いで寄越してくれた。
「えーと……、これでいいの?」
言い終わらないうちに私はコップを奪い取り、清涼水を喉に一気に流し込んだ。
口と喉にへばりついていた熱さがすっと消えていくのを感じる。ああ、水というのはなんて素晴らしいんだ。これから信仰することにしよう。
「……大丈夫? お姉様。このお酒、そんなに強かった?」
「強いという問題ではないっ!」
完ぺきにこれは神を殺しにかかっている。
舌が回るのに安心しつつもこの殺戮兵器をキッと睨んだ。当の『魔王・神ごろし』は、気にも留めていないという風にすまし顔をしている。
「そう……、じゃあ、やっぱりこのお酒を捧げた信徒は八つ裂きね」
「ハ?」
なんか物騒なこと言ってるぞこの邪神。
「少し待っていてくださいお姉様。今からあの信徒ちょっと懲らしめてくるから」
「いやいやいや待て待て待て。さっきのセリフ聞いて『ちょっと懲らしめてくる』で済むか!」
「でも、大事なお姉様が亡くなりかけたのに、これ以上生かしとく理由があるの!?」
「神が死ぬか! あれはちょっとした、――ええと、ジョークだ!」
こんな碧いのを信仰している信徒だが、さすがに目の前で「八つ裂きにしてくる」言われたら嫌でも引き留めねばならない。
そうして私はさっきの醜態というよりトラウマを「ジョーク」の一言で片づけることにした。我ながら無理がありそうだ。
しかし、
「ジョーク……? ホントにジョークなの?」
「ああ、ジョークだ。花見だからな。こういうのは盛り上げねばならない」
「…………ふーん、そっか。ならいいけど」
あっさりとこの碧いのはジョークということで一段落つけた。
納得してくれてほっと胸をなでおろす反面、本当にこんなのが神で大丈夫なのかとこれからの神業界を憂いた。
「じゃあ、お姉様」
まだ残る口の苦みに不快感を感じていると、目の前の碧いのが『魔王・神ごろし』を両手で持って微笑んだ。
「ジョークなら、飲んでもいいよね。お注ぎしますわ」
彼女が魔王に見えた。
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さくら、サクラ、桜!
なんてきれいで、素晴らしい! 桜すごい! ピンクでピンク!
ピンク? 何がピンク? あいつの頭! あいつって誰やー! あっはっはっはっはっは。
「お、お姉様……?」
なんか碧いのが呼んでる! 誰だっけお前!
あ、青さんか! 青さん! おはよう青さん!
「あ、『青さん』じゃありませんわ! 碧葉です、ヘキヨウ!」
怒るなよアオバ。そんなに怒ったら角が生えるぞ!
あ、生えるのは触手か! あっはっはっはっはっは。
「か、完ぺきに酔ってる……」
目の前のアオバは呆れたのか幻滅したのか、頭を抱えて桜の樹にもたれ掛った。
何をそんなにテンション下げることがあるのか。ここは花見の席だというのに。
花見! 花見すごい! 花見ワンダフル! ビューティフル! エクセレント! あっはっはっはっはっは。
「そんなに強かったのかな、このお酒……」
アオバはほぼ空になった『神なんちゃら』を見て呟く。
「おいアオバ! 見ろ、箸が転がっているぞ! おかしいなぁ! あっはっはっはっはっは!」
「は、箸が転がるのを見て笑う千歳……」
「なんか言ったか?」
「な、何も言ってません! だからお姉様、箸の先端こっち向けるのやめてっ!」
本当に怖がっているので、その姿に免じて箸刺しの刑はなしにしてやる。
なぜかって? それは月がきれいだから! 意味わからん! あっはっはっはっはっは。
「うーん、なんとかしないと……」
そうしないと私のお姉様が……、とかなんとか目の前の碧いのがぶつぶつ呟いている。私はこいつのものだったっのか?
するとアオバは新しく紙コップを取り出し、トクトクと水を注いでいった。
「お姉様、お水飲んで」
「やだ!」
「即答!?」
水より酒のほうがいい! 酒持ってこい! さけさけさっけー!!
「そ、そんなこと言わないで。ほら、このお水も美味しいですわよ? お姉様」
「その辺のコンビニで買ってきたただの水が美味いとは思えない!」
「うう、たしかに山で直接汲んできたとかじゃないけど……、でも、これもお姉様のためなの。ね?」
「うーむ……」
少女は困り顔で私を見ている。かわいい。はむはむしたい。
そのかわいさに免じて飲んでやろう。うん。優しい私。
「本当っ? よかった」
アオバはぱっと顔を明るくした。かわいい。はむはむしたい。
――ああそうだ、はむはむしたいなら、はむはむすればいいんだ。
「じゃあお姉様、はい」
「飲ませて!」
「飲ま!? えっ、いや、そんなこと急に言われても、どうやって……」
「なんだ、そんなことも知らないのか、アオバ! ならば私が直接教えてあげよう!」
古来より代々伝わる水の飲ませ方!
だがそれは同時にはむはむを達成するのだ! なんて神秘的! なんてエキセントリック!
そして優しい私はゆっくりと、しかし確実にアオバの両頬を自分の両掌で包み込む。
「え……?」
そうして彼女の唇を優しくはむはむした。
「――ッ!?」
うむ、エキセントリック! ワンダフル! ビューティフル!!
かわいい! 碧いのかわいい! 神かわいい!
はむはむ! はむはむ! いやむしろぺろぺろ? どっちでもいいからかわいい!!
「んっ、く……!? ……ぁ、んむ、……ふ」
何十秒か何分か、とにかくしばらく堪能する。
そうして思ったのだ。
――私これ全然水飲んでいないじゃないか!!
アオバのバカ! バカ触手! 見損なった! かわいい! ちょっと待って!
「っひ、え、ふぁ……?」
唇を離すとアオバは全く碧くない赤色の顔になっていて、まるで夢の世界に行ったかのように目をとろんとさせていていかにも扇情的でかわいかった。
しかし私はそんなアオバがかろうじて持っている水入りコップに手を伸ばし、それをくいと口に含んだ。
含んでまたアオバと接吻した。
「ッ、んんん!?」
小さく驚く彼女を制して、私はさっき口に含んだ水をアオバに直接流し込む。
が、なかなかうまくいかず、水が一筋、彼女の口元から静かに落ちていった。
「んぐ、んーん……!」
しかし残りの水はちゃんと届いたのか、アオバはごくりと喉を鳴らす。
目的は達成した。だが何かもの足りない気がしてもう少しはむはむした。
「まっ、ぁ、んん」
口元の間から漏れるアオバの声に満足した私は、そっと唇をアオバから離した。
今度は水ではない滴が、一筋互いの唇で橋を作った。
アオバは潤んだ目と真っ赤な顔と荒い息で、私かそれ以外のどこかをぼうっと見つめている。
「……アオバ?」
「……」
「アオバ」
「……」
返事がない。
ただの抜け殻のようだ。
会話が出来ないとなると退屈なので、私はそのままその場にごろんと横になった。
寝ながら酒でも飲もうと思ったが、伸ばした手が瓶に届かないのでやめた。
ただ夜桜が風に揺れる音と、そばにいる少女の気配を感じて、私はゆっくり目を閉じた。
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眩しい光が射してくるのを感じて、私は目を開いた。
目の前に広がるのは天井であり、それが自分の部屋の天井だと気付くのに数秒の時間を要した。
そばに立っている目覚まし時計を手さぐりで探すと、時刻は昼の十二時を過ぎている。
またこんなに寝てしまったのか……と、ひとりぼやく。たしか今日は、日曜日。ユーザとカエデが帰ってくる日だ。
のっそり上半身を起こすと、まるで何かに叩かれたように激しい痛みが頭を襲った。
ついでに気持ち悪さが一気に喉をかけていく。まずい。なんだこれ。まずい。
こんなになるまで私は何をしていたのか。
あるいは、何をしたのか。痛みに耐えながらも考えてみる。ええと、昨日はたしか碧葉と花見に行って……。
行って……。
行って……?
さらにまずいことが発覚した。
何も思い出せない。
もしかしてあれか。碧葉に何か変なことでもされたか。着衣の乱れ的な。そう思って自分の身体を見ると、いつも通りの赤い服がしわを伴いながらも鎮座している。
ほっと胸をなでおろす。――がしかし、頭痛は一向に収まってはくれない。ついでに気持ち悪い
このままでは悲惨なことになるとなんとか地面を這ってでも扉に近づき、開いて台所に向かった。
ふらふらの足取りでリビングまで行くと、窓の外を眺める人影が見えた。
「カエデ?」
反射的になぜか従者の名前を呼んでしまった。
しかし声を掛けられた本人は、必要以上にビクリと体を揺らして、ゆっくりとこちらを振り向いてくる。
そうして、碧葉は私と目が合うと、この二日間で何度目かの顔を真っ赤にした。
「……お、おね、お……」
よく分からんが、口をぱくぱくしてこちらを見ている。
カエデと間違われたことを怒っているのか、とも思ったが、どうもそうではないらしい。
とりあえず挨拶をしよう。
「……おはよう」
「おひゃ!? ぴゃい! おはいよごじゃいます!!」
めちゃくちゃ噛んでる。
しかも今昼過ぎで「おはよう」と言ったのに、特に何のツッコミもなく「おはようございます(意訳)」と返されたのにものすごく違和感を覚える。
もしかして酔っているのかこいつ。いやだがしかし、部屋の中は大して酒臭くはないし、碧葉自身からもアルコールのにおいはしてこない。
なら何か悪い物でも食べたか、と思うが神は食事を必要としない。よって、碧葉も一応は神なので食事はしないだろう。なのでこれもない。
なら、なんだ?
「おい、あお、ッグ」
訊こうと思って口を開いたら、突然あの嘔吐感がぶり返してきて、間一髪のところでモノの登場を抑えた。
危ない。今のは危ない。またひとつ神としての尊厳を失うところだった。
「……ど、どうしたの? 大丈夫? お姉様」
私の様子に気が付いたのか、先ほどまで挙動不審だった碧葉が話しかけてくる。
「酔った……。頼む、水を……」
「お水? わかった」
言うや否や、碧葉は冷蔵庫へ駆けた。別に水道水でも問題なかったのだが、今は口を開く元気がない。
台所近くにある椅子に腰かけ、彼女の帰りと水の登場を待つ。
「はい、お姉様」
数秒で戻ってきた彼女に驚きつつ、グラスに入れられた液体を一気に飲み干す。
喉にある不快な感触がすっと消えていくようだ。もうこれさえあれば生きていける。
碧葉に礼を言おうと彼女のほうを見ると、なぜだかまた碧いのは顔を真っ赤にして私を見ていた。
「……な、なんだ?」
「……ね、ねぇお姉様」
碧いのは指をもじもじと絡ませる実に似合わない照れ方をして、口を開く。
「こ、古来より代々伝わる水の飲ませ方は、その、しなくていいの?」
「は?」
何言ってんだこの邪神。
大体、「古来より代々伝わる」ってなんだ。怪しさ倍増だぞ。ついでに頭悪そうだ。
「……お、覚えてないの?」
「何が」
「いや、だから……。……昨夜のこと」
言って碧葉は口元を手で隠した。やめろその乙女しぐさなんかこわい。
まぁそんな碧葉は置いておいて、起きたとき同様昨晩のことを思い出してみる。
ええと、昨日は夜に公園に行って、桜を見て、それで……。
……それで?
「……なんだったか?」
「えっ!?」
碧葉が急にでかい声を出す。この世の終わりとでも言うような。
なんだ、また私何かまずいことでも言ったか。
「お……覚えてないの? どこから?」
「どこから、って……。……なんかすごい強い酒飲んだあたりから?」
「ピンポイント!?」
なっ、なんだこの邪神。急にでかい声出すなびっくりするだろう。
「あ、ご、ごめんなさい、お姉様……。でも、そっか……。そう……。うーん……」
どうも先ほどから歯切れが悪い。
納得いかないのか、何やら碧葉はぶつぶつと独り言をつぶやいている。
「でも……、毛玉には勝ったよね。うん。だって二回もされたし。それにくちう……。……」
ぶつぶつ言った後に急に頬を朱色に染める碧色。
見ていて飽きないが、何の話か追及するのは面倒くさい。
そもそも覚えていないのだから、聞いたところで意味はないだろう。もしそれが「聞かなきゃよかった」な記憶の類だったとしたら、なおさらだ。
だから、このまま放置しておく。
別にどんなことがあったのか聞くのが怖いとか、そういうのではない。「知らぬが仏」、という諺もあるしな。宗派違うけど。
「……あっ、そういえばお姉様。あの毛玉とユーザはいつ帰ってくるの?」
「ん? ああ、確か夕方には帰ってくると言っていたが。まぁ、帰ってくる前に何か連絡ぐらいは寄こすだろう」
「そっか。じゃあ、夕方帰ってくるギリギリまではここにいられるわね」
「……いや、お前他にやることないのか」
昨日花見の準備で荒々しく使ってしまったのだから、信徒に顔でも見せに行ってやったらどうだ。
「えー。でも、今はお姉様のほうが先決だし。それに、二日酔いでしょ? お姉様。誰かいないと、いろいろ不便なんじゃない?」
「うっ……」
確かに。いまだに頭の痛みはとれていないし、気分も悪い。正直今までで一番動きたくないのは今この時だ。
返事に困っていると、碧葉はそれを察してか悪戯っぽくにっこりと笑う。小憎らしい。
「お姉様、何かあったら遠慮なく呼んでね。なんでもするから」
「……ああ……」
有難いのと格好がつかないのと気持ち悪いのとで、私はここ最近で一番低いトーンをもって碧葉に返事をした。
碧葉は全く関係なさそうに「ふふふ」と幸せいっぱいの若奥様みたいな笑みをこぼした。なんかこわい。
……早くユーザとカエデ帰ってこないかな……。出来れば、土産持参で。
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――その頃のユーザ一行
「見てくださいユーザさん。こんなのありましたよ。木刀! もうこれ赤樺さまへのお土産でいいですよね」
「ええ……、ダメですか? お優しいんですね、ユーザさんは……。別に赤樺さまに優しくはしなくても……、いえ、なんでもないです」
「うーん。では、このどこに行っても売っている、剣と盾の金ぴかキーホルダーとかはどうですか? ダメ? じゃあこっちの刀のは? これもダメ?」
「ううーん……。どうしましょう。もう候補がありませんよ……。……え? 別に遊んでないですよ? 私はいつでも大真面目です」
「余計性質悪いと。うふふ、最近ユーザさんもツッコめるようになりましたね。嬉しいですよ。はい、言ってる場合じゃないですね」
「……温泉まんじゅう? ああ、そういえばここの温泉まんじゅうは結構おいしいと聞きましたが……。それをお土産にします?」
「……はい。そうですね、それにしましょう。これなら、赤樺さまも納得してくださると思いますし」
「何より、ユーザさんが選んでくださったんです。文句なんて言いませんよ、きっと」
「……うふふ。では、次は黄樹さまへのお土産を選びましょうか。赤樺さまのより高いのにしましょうね。……え? 冗談ですよ、もう。うふふ」