***百合注意
                






























 金曜二十一時にやっている、ドラマのエンドロールが流れた。
 箱の中の映像はニュース番組となり、オープニングでアナウンサーの男女が、そろそろ花見の季節だと雑談している。
 そういえば近くにいい花見の場所があったな、とタイムセールで買ったみかんの皮を剥いている隣の猫に言った。

「そうですね。お花見、したいんですか? 赤樺さま」
「……まぁ、それなりにはな」

 にゃー、と訳のわからない相槌を打った猫耳の女性は、きれいに剥いたみかんを私に渡して言う。

「碧葉さまとのお手紙に書かれてはいかがですか? 『お花見がしたい』って」
「誰が書くか」

 強引にみかんを取った私は、また強引に口へ放り込み咀嚼した。
 私はあれから、妹との手紙のやり取りを消極的に続けている。
 というのも、前に碧葉がここへやってきたときに、一度ぐらいは手紙の返事を書いてやろうと、なんとか仕上げた返信の手紙を渡したところ、またすぐ翌日に彼女はやってきて、その手紙の返事の返事を私に寄越してきたのである。
 それが嬉しそうに手紙を渡すものだから、また返事を書いてやろうと思ってしまったのが運の尽きで、碧葉は再び私から返事を受け取り、またそのすぐ次の日にわざわざ家にやってきて、返事を寄越すというなんともお前他にやることないのか暇なのか状態の文通に至ってしまった。
 正直返事を書くのはもう面倒なのだが、当の碧葉が翌日に手紙を寄越すというやる気満々なあれなので、素直に「もうやめたい寝たい」と断ることも出来ず、私たちは今日もその文通を続けている。

「『桜より君のほうがきれいだけどね☆』とかなんとか臭いセリフも書いたりしちゃったらどうですか?」
「臭いわかってるなら言うな。というか、妹に書く手紙の文章じゃないだろ、それ」
「え? 文通という名のラブレターでしょう、それ?」
「違う」
「文通という名のラヴレターでしょう、それ?」
「『ブ』と『ヴ』の問題ではない!」

 この猫は多分どっかで頭でも打ったのだろう。最近変なことばかり言う。かわいそうに。

「赤樺さま……、そんなかわいそうなものを見る目しないでください」
「お前がさせているんだろう」
「にゃー……」

 落ち込んでいるようで落ち込んでいない猫は放っておいて、テーブルに広げている便箋に意識を集中させる。
 妹からの手紙の内容は『碧葉のもとの信者の素晴らしさ』である。実にどうでもいい。ぶっちゃけ違う話題にしたい。返事は『本日の天気について』にしよう。

「ユーザさん、遅いですね赤樺さま」

 復活したカエデが、壁に掛かった時計を見て言う。
 私は筆を走らせながら「ああ」と生返事をした。
 二十二時を過ぎても帰ってこないユーザは、ここ一ヶ月で当たり前のことになっていた。
 もともと私たちふたりを養うために連日の残業も辞さないユーザではあったが、最近は鬼のように忙しいらしく、毎夜遅い時間に帰ってきては死んだ魚の目をしてベッドに倒れている(たまに間に合わなくて玄関で寝ている)。
 居候させてもらっている身としては心苦しいが、彼女の仕事を手伝うことは出来ない。ただふたりで、毎日ユーザの帰りと健康を案じている。

「でも、今日でやっとお仕事が一段落するようですよ」
「……そうか。よかったな」
「はいっ」

 本当に安心した笑顔を見せるので、私もつられて微笑んでしまう。
 カエデは視線を手元のみかんに移し、皮を剥く作業に入る。
 私も本日の天気を書く作業に戻った。

「そういえば赤樺さま」
「なんだ」
「温泉旅行当たりました」
「そうか。…………え?」

 今日常生活ではまったく聞きなれない言葉が出たぞ。
 思わずカエデのほうを見ると、視線に気づいた猫はまたにっこりと笑って、

「赤樺さま、お留守番よろしくお願いしますね」

 なんて言うからとりあえずほっぺたつねっておいた。

「いひゃいいひゃいいひゃい、いたいれすへっわさま!」
「待て、落ち着け。落ち着いて順から話せ。落ち着け」
「落ち着くのはへっわさまのほうあういらめいこうらめえ!」

 なんか訳わかんない単語を発してきたので、慌ててつねっていた手を引っ込める。

「うう……、傷になったらどうしてくれるんですか……? 赤樺さまの暴漢っ」
「デコに『肉』って書くぞ」
「いやあっ、せめて『猫』って書いてください!」

 そういう問題か……?
 そんなくだらん疑問はさておき、重大である疑問をカエデに投げかけた。

「まず、なんだ温泉旅行って」
「今日商店街の福引で当たったんですよ、一等ですっ。うふふ、褒めてくださって構いませんよ、赤樺さま」
「どうせズルでもしたんだろ、妖怪的な力で」
「しませんよ、赤樺さまじゃないんですから」
「ほう」
「あっ、やめてっ、もうほっぺはいいです、いやあ腕はもっと嫌です! ぞうきんはやめてください!」

 後が怖いのでぞうきんしぼりはやめておく。

「で、なぜ私が留守番なんだ」
「この宿泊券、ペアチケットなんです」
「ああ」
「つまり、二人しか行けないってことです」
「ああ」
「だから、赤樺さまがお留守番です」

 待て。おかしい。どう考えてもその結論はおかしい。
 そう言うと、カエデは至極不思議だという顔をした。

「だって赤樺さま、温泉に行くほど疲れてらっしゃらないじゃないですか」
「ぐっ」

 痛いところを衝かれる。

「いいですか? 赤樺さま。」

 従者の言葉にダメージを受ける私だが、カエデは構わず人差し指をぴんと伸ばして、それを続けた。

「まず、ユーザさんは、御存じの通り毎日残業で疲れてらっしゃいます。最近は特にそうです。さらには、私たちの食事・健康・その他諸々の面倒まで見てくださっています。無論、ユーザさんが温泉に行かないわけがありません」

 ああ、そうだな。それは当然だ。
 毎日へろへろに干からびているユーザを見ていれば、それは頷ける。
 むしろ、ぜひ温泉に行って、疲れのすべてを取ってきてほしいと思うぐらいだ。

「そして次に私のことですが、私は毎日、ユーザさんと赤樺さまのごはんを用意させていただいております。また、洗濯・掃除・その他諸々の家事も担当させていただいております。あと、たまに赤樺さまのお世話もさせていただいております。正直毎日へとへとです」

 私の世話という単語が気になるが、まぁ、朝起こしたり、ごろごろするのやめろと言ったり、おつかい行ってくださいどうせ暇なんでしょうプッとか言ってイラつかせたり、そういうのを世話と言うなら世話になるのだろう。
 また、彼女は毎日かかさずその全てをこなしている。たまに酔ったユーザの愚痴も聞いている。もはやその立場は「嫁」と言っても過言ではないだろう。なんでこんなに褒めているんだろうやめよう。

「最後に、赤樺さまです。赤樺さまは……」

 私の番になり、無意識に体に力が入る。
 何を言われるのか。何を見てくれているのか。様々な想いを込めながら、カエデの口元に注目した。

「………………特になし!」

 テーブルに頭打った。

「赤樺さま、最近ズッコケのスキル半端ないですね。芸人さんにでもなるんですか? あ、人じゃないから『芸神さん』ですね、うふふ」
「面白くない! いろいろな意味で面白くないぞ!! なんだ、『特になし』って! なにかあるだろう、なにか!」

 テーブルに当てた頭部をさすりながら、声を荒げて抗議する。
 当の化け猫は唇に人差し指を当て、「んー」とかわいく呟いている。

「だって本当にないですもん、赤樺さまがこのお家のためにやっていること。碧葉さまにラヴレター書いてるだけですよね、やってることと言えば」
「ラヴレターではないと言っているだろう! それに、なんかあるだろう、こう、なんか、なんだ」

 自分で説明しようと、ここ最近の自身の行動を振り返ってみる。
 睡眠、睡眠、食事、テレビ、睡眠、手紙、睡眠、睡眠、おつかい、食事、睡眠、睡眠、睡眠……。
 やめよう。虚しくなってきた。どこの赤ん坊だ。我ながら寝すぎている。
 カエデに、あまり寝るなと注意されているのに、「昼寝は健康にいいから」というどこかでかじった情報を盾にして、とにかく睡眠を得ようと奮起していた過去の自分に怒りを覚える。

「――赤樺さま」

 過去に憂鬱していると、カエデが私の両肩にぽんと手を置いた。

「お留守番、よろしくお願いしますね」

 いい笑顔で言う彼女に、私は苦笑いすることしか出来なかった。


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 日はあっさりと、私たちの横を通り過ぎていった。
 もうあれから一週間だ。時間というのは早い。ただ単に寝ているだけとも言う。
 あのあと、死んだ魚の目をして帰ってきたユーザに、カエデが温泉のことを話したら、少しばかり元気になってくれた。
 この土日は温泉に行くということで、いつもは干からびている月曜日の朝も、元気に仕事へ出かけたほどだ。
 ああ、それだけでいい。私のことを「家族」だと言ってくれた彼女が、少しでも笑顔になってくれたら嬉しい。そう、きっとそれが家族というものだ。うん。家族。うん。うん……。
 言えない。言いたくない。私も温泉に行きたいなどと。今更言えるわけがない。口が裂けても言えない。絶対に言えない。
 ただでさえ何もやっていない私が、そんな偉そうなことを言えるわけがない。私も成長したのだ。自分の我を、強制してでも通すような、そんな神ではなくなったのだ。
 ましてや、そんな私を察したのか、「カエデとふたりで行ってきたら」と優しく私に言ってくれたユーザに、「構わん行ってこい」とかっこよく言い切った自分が、やっぱり前言撤回と今更出来るわけがない。またカエデに嗤われる。

 窓から送られてくる春のぬくもりとは対照的に、私の心は凍り付いていた。
 近くに植えられている桜の樹は、ふんわりとピンクの衣を纏い、その欠片を私たち地上の者に振りまいている最中だ。
 そんな、桜吹雪がきれいな今週末、一泊二日で彼女たちは温泉に行く。
 きっと、露天だから外から桜とか見えてしまうのだろう。そこで酒でもちびちびやるのだろう。今までのことも現実のことも全て忘れて、湯の滴とともに流していくのだ。
 ああ。ああ。ああ。想像したら頭が痛くなってきた。今隕石とか落ちてこないだろうか。隕石。来い、隕石! 私は今お前を必要としているぞ!

「お姉様って、隕石好きよね。そういう趣味なの?」

 空を仰いだ私に、空のように碧い妹が話しかけてきた。ここ最近はおなじみのことなので、もう驚かない。

「別に好きではない。一番非現実的だろう。だから呼ぶのだ。起こる可能性が低いからな」
「え、今まさに隕石呼ぼうとしてたのに。誰に落とすの? 毛玉? ユーザ?」
「やめろ呼ぶな。おい、勝手に床に変な魔法陣書くな。念じるな。踊るな。やめろ。やめんか!」

 本気で妹が隕石を呼ぼうとしているので、変な踊りをする彼女を止める。
 こいつ、冗談が通じんのか。というか呼べるのか。危険性は高いが、もしもの時のために覚えておこう。

「まぁホントに落ちてくるかは分かんないけどね。場所もないから、実験も出来ないし」
「チッ」
「ひどっ、今ひど! 今本気の舌打ちしたでしょ!? 献身的な妹に舌打ちしたでしょ!?」

 どこにいるんだ献身的な妹。言おうと思ったが泣きそうになるのでやめた。
 フローリングに書かれた変な魔法陣を消して、絨毯の上に座る。隣の碧葉は当然のように私のすぐ隣に座った。

「……近い」
「ねぇお姉様。あの毛玉は?」
「聞けよ、神の話」

 呆れつつも、カエデの居場所について話してやった。
 カエデは、明日から温泉に行くため、黄樹に「お土産は何がいいですか?」と訊きに行った。私には「草加せんべいでいいですね」とか言っていたくせに。草加せんべいに謝れ。
 そこまで説明しようと思ったが、碧葉に温泉のことを話すのもあれなので、「カエデは黄樹のところにいる」、とだけ伝えておく。
 碧葉は、あっそ、いないならいいけど、と自分から訊いたくせに、さして興味はないという風にテーブルに頬杖をついた。
 なんだか腑に落ちないが、まぁいい。
 それよりも私は、さっき自分が発した『黄樹』という妹の名前に、不覚にも先日の古傷を思い出してしまっていた。

 あれはそうか、いつのことだったか。もうそれすらも寝すぎて覚えていないのだが、その痛みと辱めは、今でも覚えている。

 すべてはただの偶然だった。
 黒色が黄色を呼び、蒼色が家にやって来て。
 たまたま赤色と蒼色がちょっとした言い争いをしたばかりに、黄色に誤解されてしまった。
 ――赤色は、変態なんだと。

 あの時のゴミを見るような黄樹の目を、私はきっと二度と忘れまい。
 いや、忘れないというか、忘れられない、と言った方が正しいだろう。あの目は、それほど侮蔑と嘲笑にまみれていた。
 そんな黄樹に、カエデが、あれは誤解なんだと説明してくれたらしいが、それでも黄樹はまだ疑っている、という話だ。
 私が直接会いに行って謝罪か何かしらの誠意を見せないと、黄樹は私をゴミを見るような目で永遠に睨み続けるだろう。それだけはなんとか避けたい。避けたいが、彼女のもとに行く覚悟がまだない。
 まぁそのうち行くことにしようとごろごろ寝ていたら、結構な時間が経ってしまった。いかんな。もしかしたらあの触手がトラウマになっているのかもしれない。
 それでも、この週末のうちになんとか和解しよう――、と今日のうちは逃げることにする。

「――あ、お姉様。今日手紙は?」

 今まで遠くを見つめて耽っていた碧葉が、思い出したように私に声をかけた。
 私は昨日書き終えた返事の手紙を、碧葉にひょいと渡す。
 それを受け取った碧葉は、輝かしいくらいの満面の笑みを私に渡した。

「そんなに嬉しいものか」
「もちろんですわお姉様。まさかお姉様と文通が出来る日が来るなんて……。しかもこんなに長い間っ」

 私からの手紙を嬉しそうに抱きしめる妹を見て、自然と頬がゆるむ。
 彼女がこんな調子だから、私も返事を書くのがやめられないのだろう。ちなみに現在の手紙の話題は一周して『碧葉の素晴らしさについて』である。正直今年一番どうでもいい。

「どうでもいいなんて! というかお姉様、この前も私の信徒の素晴らしさについての手紙、はぐらかしたでしょう!? 天気とかどうでもいいのにすり替えてっ」
「お前が出す話題はおかしいんだ……。せめて、手紙でしか出来ない話題でも提供してくれ」
「『手紙でしか出来ない話題』、って?」

 ぎくりとする。訊かれても困る。
 今テキトーに言っただけなのに。
 頭を掻いて時間を稼ぎ、私はまたテキトーに答えを絞り出した。

「……恋愛……とか?」

 探るように答えると、碧葉は一拍おいて赤面した。
 かと思えば顔を両手で包んでくねくねした。なんだこいつ。不審すぎてむしろ怖い。

「お、お姉様、まさか今の、告白……!?」
「は?」

 こいつは何を言っているんだ。

「だって、私にそんな話させるなんて、遠回しの告白としか考えられませんわっ」
「今日はいい天気だな」
「聞いて! ていうかもう天気の話はいいからっ!」

 天気の話のほうが有意義だと思えるがな、と言おうとしたが涙目になられそうなのでやめる。
 ベランダに身を移すと、マンションの近くに植えられている、大きな桜の樹が見えた。
 カエデが、近くの広場にも桜の樹がたくさんあるから、今週末は人でいっぱいでしょうね、と微笑んでいたのを思い出す。

 花見か――、いいな。

 明日明後日は散歩がてらひとり花見でもしよう。そう結論が出たところで、碧葉がまたも無言で隣にくっついてきた。めんどくさい奴。


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 土曜日はがんばって早く起きた。
 ユーザとカエデが温泉に行く日。せめて見送りぐらいはしようと、布団イモ虫となる自分を奮い立たせ、バタバタと出かける準備をしているカエデたちを眺めている。
 なんでもこの週末は花見客が多いらしく、電車も混むので早めに行って、早めにゆっくりしようということだ。

「ユーザさん、忘れ物はないですか?」

 一泊分の荷物を抱え、玄関前で女性がユーザに最終チェックを問いかける。
 ユーザは自分のカバンを軽く点検し、「大丈夫」と小さく頷いた。

「それでは赤樺さま、いってきますね」

 さらりと黒髪をなびかせた彼女は、春の陽気にぴったりな、ぬくもりを感じさせる。気がする。

「ああ」

 壁に体重を預け、寝惚け眼で私はカエデを見つめ返した。
 ユーザはカエデの隣で、同じように「いってきます」と微笑む。私もそれを見て目を細めた。

「戸締り、ちゃんとしてくださいね」
「ああ」
「お昼はピラフ作りましたから、あっためて食べてくださいね」
「ああ」
「お風呂に入った後は、ちゃんと栓を抜いてくださいね」
「ああ」
「それから……」
「ええい、早く行け。電車に遅れるぞ」

 オカンよろしく心配する彼女を振り払う。私は子どもか。いや見た目は子どもだが。
 カエデは、そうですか? とまたも心配そうに私を見、まばたきを置いて笑顔を作った。

「では、改めて、いってきます」

 彼女が扉を開けると同時に、春のやさしい風がふわりと私たちを包み込んだ。

「……いってらっしゃい」

 あのひだまりのように、今の私も、笑えていたらいいなと。
 そんなバカなことを考えて、春の風は静かに止んだ。


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 起きると正午だった。
 あの後堪らなくなって布団に突っ伏し二度寝の爆睡をした結果がこの時間だ。
 年に一度あるかないかの早起きだったのに、これでは何も変わらないなと苦笑して頭を掻いた。

 洗顔と歯みがき、着替えといつもの支度を終え、カエデが作ってくれたピラフを温めるためレンジの蓋を開けた。
 電子レンジというやつの使い方ぐらいはわかる。が、温める時間がわからなかった。三分ぐらいでいいか。

「お姉様!」

 背後からの声に驚いて、私は思わずレンジの変なボタンを押してしまった。あ、なんだこの表示。戻し方が分からん。

「もうお姉様、やりたいなら最初から言ってくれればいいのに。もう。もうっ!」

 いつもよりテンションの高い碧い妹を放置し、レンジの液晶ボタンを睨む。
 なんか点滅してる。どうしよう。壊したらカエデに怒られる。ユーザが苦笑いをする。まずい。まずい。

「さぁ行きましょうお姉様! 時は来たれり! 信者たちもお姉様のご登場をお待ちしておりますわ!」
「うるさい!!」
「はいい!?」

 横目で叫ぶと碧葉はその状態のまま静止した。
 目を白黒させながら止まっているその状況は、少し滑稽ではあるが放っておく。
 未だに私はレンジと格闘中だ。くそ、訳がわからん。なんだこれ。もうやだ。

「…………お、お姉様?」碧葉がおそるおそる話しかける。
「なんだッ」私もつい声が荒くなる。
「それ……、と、取り消しボタン、押したらいいんじゃない?」

 遠慮がちに伸ばした指の先には、確かに「とりけし」と書かれたうす水色のボタンがあった。
 言われるまま慎重に押すと、「ピッ」という高い音とともに、レンジの液晶は何事もなかったかのように全ての表示を消し去った。
 はー、と深くため息を吐く。よかった。壊してしまったのかと思った。

「も、もう大丈夫、お姉様……?」

 なおも碧葉がおそるおそる訊くので、私は少し苦笑して、

「ああ、もう大丈夫だ。……悪かったな」

 そう遠慮がちに言うと、碧葉はぱっと顔を明るくさせた。

「ううん、別にいいの。気にしてないし。ところで、お姉様」
「なんだ?」
「おはな――、待ってお姉様、それ三分とかやりすぎじゃない?」

 再び表示されたレンジの液晶を見て、碧葉が自身の話を中断して止めにかかる。

「そうか? これぐらい熱くないと、美味くないだろう」
「……お姉様がそれでいいなら、いいけど。いや、でも、やっぱりやりすぎだと思う、それ」
「火で熱しない分、これぐらいやったほうがいいだろう」
「レンジの力を甘くみてはいけませんわ、お姉様。人間なんかが作ったとは言え、意外に熱するからね、これ」
「……そうか」

 まぁ、確かに侮れない。この前ユーザが卵を温めようとすると、カエデが必死になって止めていたのを思い出す。
 なんでも、卵が爆発するらしい。想像出来ないが、あのカエデの必死さを考えると、間違いではないと認めざるを得なくなる。

「こういうのは、一分ぐらいでいいんじゃない? たぶん」

 碧葉が提案してきたので、素直にそれに従う。こいつのほうが、レンジには詳しいだろう。たぶん。
 ヴーンと唸り声を上げ、ピラフを回転させるレンジに背を向ける。よいしょと絨毯の上に座ると、昨日同様隣に碧葉も座った。

「……そういえば、お前何しに来たんだ」

 ちょこんと正座で座っている碧葉を一瞥する。
 碧葉は「あっ!」と思い出したように両掌をぽんっと合わせ、

「やりましょう、お姉様!」

 と、堂々と意味不明な宣言をした。

「……やるって、なんだ急に」
「お姉様、昨日の手紙に書いていたじゃない! だからやりましょう。ねっ」

 笑顔で寄ってくる碧葉に、なぜだろうか。
 貞操の危機を感じた。
 ――いやいや、碧葉に限ってそんなはずはない。
 はずは……。
 はず……。

「や、やらん」
「ええっ、なんで。言ってたじゃないお姉様」
「私はお前とやりたいなどと一度も言った覚えはない」
「言ってはないけど、でも昨日の手紙に書いてたし。要するに、私とやりたいってことでしょう? お姉様」
「なんでだ! だ、第一、まだ前の段階も終わってないだろう!」
「えー、準備ならばっちりですわよ、お姉様。私の信徒も何人か連れてきたし。雑用に」
「信徒!? お前、早速そんな趣向をするのか!?」
「人数は多い方がいいでしょう? まぁ、あの子たちは周りに置いておくだけで、主役はお姉様だけどね」
「わ、私を主役にするのか!? 破廉恥だぞ、お前!」
「だって、お姉様がやりたいって……。……破廉恥?」

 チーン、とレンジが出来上がりの合図を鳴らした。

「お花見って、破廉恥なの? お姉様」

 きょとんと丸くした碧葉の目に、私の姿が反転して映る。
 ああ。
 しにたい。


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 ピラフの味は覚えていない。
 ただただ、なぜあんな変な思考に至ってしまったのか、後悔の念を抱きつつもくもくと口に運んで噛む作業を続けている。
 もうカエデにネタにされたい。ネタにされた方がマシだった。芸神でいいから。

「お姉様、大丈夫? 目が死んでますわ」

 食べ終わり、空になった食器をぼーっと眺めていた私に、碧葉が話しかける。
 特に『破廉恥』の意味を問いたださない所は、私的に幸いだった。

「ああ……」

 なんとか気分を上げなければ……。
 そう思って、ちらりと窓の外を見ると、きれいな青空が広がっていた。テンションを上げるには格好の材料だ。
 外に視線を投げかける私を見てか、碧葉はまたにこりと笑う。

「お花見したいの?」

 反応に困る。
 したいかと訊かれればしたいのだが、だがしかしなぜ碧葉としなければならないのか。
 こいつの邪気に反応して、満開の桜も一瞬で枯れてしまうような気がする。
 そもそも、こいつは私が「花見がしたい」ということを手紙で読んだ、というが生憎私にはその記憶がなかった。
 なぜなら私の記憶では、昨日の手紙の話題『碧葉の素晴らしさについて』には、返事として『本日の天気続』を彼女に送ったからだ。

「ねぇお姉様、なんでいつも天気の話を続けるの? あんまり言いたくないけど、誰も『続』とか待ち望んでなんかいないと思う」
「お前の素晴らしさの話も、誰も待ち望んではいないだろ……」
「あら、私の信徒たちは嬉々として聞きますわよ」
「病院勧めたらどうだ」
「ちょ!? さらりとひどいですわお姉様!」

 というか早く本題に入れ。私はいつ花見がしたいなどと手紙に書いた。

「ふふん、お姉様がそう言うと思って、昨日の手紙を持ってきましたの。はい」
「ああ……、ってなんで額縁に飾ってるんだ、これ」
「え? だって、お姉様からもらった手紙だし」
「おいやめろ怖い。やっぱりストーカーだろお前。靴下の長さ違うし」
「今靴下の長さ関係ありませんし、これはファッションですわお姉様!」

 前々から抱いていた疑問をついでに投げかけ、解決したところで手紙を開く。
 そこにはたしかに私の字で、本日の天気に関する文章がつらつらと述べられていた。
 ――ただ、最後の一行。最後の一行だけ、明らかに筆の濃さも字の整い方も違う、違和感だけ残る一文が載っていた。

 <<お花見したい>>

 それだけ書かれていた。
 それだけ書いていた。
 まるで何かのダイイングメッセージのように。
 書きなぐった字で、意識がなかったのかのように、雑に。

「……」

 こんなの書いた記憶はない。
 いや、たしかに花見には行きたいと思ってはいたし、行こうとはしていたが、しかし碧葉への手紙にこんなメッセージを書くことは決して絶対に確実にない。
 なぜならこいつと行ったらきれいに咲いている桜もはらはらと散ってしまうからだ。
 だからこんなことを書くことは決してない。

「……お姉様、なんだかさっきからひどいことばっか言ってない?」
「なんの話だ」
「……まぁいいけど。とにかく、手紙に書いていたのは、このように事実ですわお姉様。一緒にお花見行きましょう」
「待て。この字が私である証拠はないだろう」

 そうだ。もしかしたらこれは、碧葉が花見に行く口実として、彼女自身が書いたものかもしれない。
 こんな書きなぐったような字だ。誰の字か判別はつかない。つまり、碧葉が書いた可能性もある、ということだ。

「私がお姉様から貰った手紙を、自分の字で汚すなんてあると思います!?」

 真顔で言われた。
 たしかに、額縁なんかに入れる奴だ。
 わざわざ私と花見に行くために、大事な「お宝」に字を書き足すなんてこと、考えられない。
 ということは……、やはり、私が書いた?

「さっきからそう言ってるのに」
「ぬぐっ……」

 くやしい……。こんな奴に自分の心の内をさらけ出してしまうなんて。

「お姉様さっきからひどい……」

 やや落ち込んだ碧葉は、しばしテーブルを見つめため息を漏らしたのち、すっくと立ち上がった。
 その目はなぜか眩しいほどに輝いている。

「とにかくお姉様、手紙の件は納得してくれたでしょう? だからお花見に行きましょうっ。私の信者たちと一緒に」
「それは断る」
「そんなっ!? 私と一緒に行ってくれることに、納得してくれたんじゃないの!?」

 涙目を近づけてくる碧葉を、片手で制止する。

「お前とは、行ってやらんこともないが、お前の信徒たちとは一緒に行きたくない」

 私は彼女の手紙に、花見の件を書いてしまった。それはもう訂正出来ない事実だ。今更軌道修正なんて出来ん。
 それに私は、こいつに少しばかり「期待」をさせてしまった。姉として、神として、その責任は取った方がいいだろう。寝てばっかいたし。
 だがしかし、こいつの信徒が一緒なら、話は別だ。
 こんな邪気漂う妹を崇拝する人間だ。きっとろくなヤツらではない。むしろそいつらにまで邪気が漂っているかもしれない。不安な要素はいくらでも出てくる。

「そんなことないって、お姉様。ほら、今マンションの下に待機させてるから、見てみてよ」
「ってお前、まさか今の今まで、信徒たちを下で放置していたのか!?」
「大丈夫よ、別に。あの子たちは良い子たちだから、喜んで待ってくれているわ」

 もうすでに不安な要素しかない。
 おそるおそる玄関を開け、マンションの廊下、腰までの高さにある手すりから覗いてみる。
 この階は三階ということもあって、その姿は小さなものだったが、たしかに数人の人影が見えた。
 その者達はみな、ちょうど私たちに背を向けていたおかげで、顔までは見えなかったが、各々花見の敷物や弁当やらを抱えている。
 いいのか。信徒をこんな使い方して。いいのか。

「いいのよ。持ちつ持たれつ、みたいな? そんなものでしょう」隣に立っている碧葉が、胸を張って答える。
「お前のは利用しているだけだろう。帰ってもらえ」
「えー、なんで」
「なんでも何も、こんなことのために来てもらうなんて悪すぎるだろう」

 下にいる信徒たちは、我らが碧葉様の君臨を今か今かと待ち構えている。
 あんな中に私のような子どもの姿をした神が現れたら、ブーイングどころでは済まされない、ような気がする。

「マイナスに考えすぎですわお姉様。第一、ブーイングなんてしたら私が粉々に――」
「私は」

 碧葉の言葉を遮る。
 やや間を空けて、私は再び口を開いた。

「……お前とふたりっきりのほうがいい」

 言ってて恥ずかしいセリフだと分析し、途端に顔が熱くなった。
 言われたほうの碧葉は、目を丸くしたのち徐々に頬を紅色に染めていく。
 したかと思えば手すりに足をかけ、

「帰ってもらう」
「は?」

 尋ねる間もなく碧葉は三階から飛び降りた。

「な」

 地面に当たって死ぬ――と最悪の想定が脳裏に浮かび、とっさに手すりから身を乗り出し、彼女が落ちたであろう場所を見る。
 だがしかし、碧葉は見事な着地で、待っている信徒たちを驚かせていた。
 そうして、二言三言告げると、信者たちはそれぞれの荷物を床に置き、碧葉に一礼をしてマンションの敷地内を後にした。
 呆然と風に揺れる蒼髪を見つめていると、碧葉は視線に気付いたのかこちらへ振り向き、にっこりと笑う。

「お花見しましょう、お姉様」


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 ――その頃のユーザ一行

「いいお湯でしたねユーザさん。また夜にも行きますか?」
「……? どうしました? ……『マッサージ』? やりたいんですか?」
「……あ、高いですねこれ無理ですごめんなさい。そんなお金なさそうです……」
「ああっ、落ち込まないでください。マッサージぐらい、私がして差し上げますから。ね?」
「任せてください、こう見えてマッサージは得意なんですよ。肩もみでも腰もみでもなんでも。どこが凝っているんですか?」
「……『顔』? なんでまた顔? ……え、 私と一緒にお風呂入ったから? なんでまた……」
「あ、あれですかユーザさん。私の身体があまりにも憐れなので嗤うのを堪えていた系のあれですか。たしかにユーザさんは私よりいろいろと恵まれていますがさすがの私でもそれは……」
「……違うんですか? ……『隣に美人がいると緊張する』? ……え?」
「あれ? もしかしてこれ私口説かれてる系ですか? あ、違う。そうですね。すみません」
「ええと、私が美人かは置いといて、そんなこと気になさらなくてもいいんですよ、ユーザさん。どうかいつも通り、リラックスしてください」
「この温泉旅行は、そのためのものなんですから。……さ、部屋に戻りましょう。一服したら、どこか散歩にでも出かけますか?」